欲しいのは癒しか高揚感なのか?
同じことを、学ぶと新しく分かることや、お復習ということもある。
お復習(おさらい)という字がこれであっているのだろうか?そう思うくらい普段は使わない言葉になったものだと思う。
自分の理解のレベルが上がることで見える世界は違ってくるから。
何度も習うのは必要なことだと思いはする。
癒しも学びのひとつ。
楽しいことを学ぶために、行っている。
けれど、何度も習う必要性って何だろう?
新しい技術や、何かを知ることは良いことだと思う。
しかし、ただ同じものを習いに、別の場所や同じところへいくのは狭さを感じてしまう。
相手が変わっても新鮮さを失っているようで
どうにも窮屈だ。
どうやら、自分では無意識のうちに
常に新しいものを求めているようだ。
新しいもの
それは、知らなかったことを知る機会を豊富に与えてくれる。
そこには楽しさがあり、あたらしい人との出会いもあるだろう。
だから楽しいのだ。
訪れた変化や高揚感覚でものごとを行えばそれはポジティブな変化になるだろう。
ただそれは、長くはない。すぐに消えてしまう。
得たテクニックや思考は素早く身に付けてしまうか、すぐに忘れることだ。
忘れてしまえば、また学ぶ機会が訪れてくる。
楽しいかもしれない。
飽きが来たのか、情熱は失われた感じだ。
退屈が介在しないものは無いものだろうか。
それを消すには、学ぶ期間を開けないことなのだろう。
また、新しい学ぶ機会を得たいものだ。
退屈は噛み締めても美味しくはないからね。
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